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節句の相撲 田植えの終了後、日を決めて二日間休み、田植えの疲れをとる。嫁、婿は実家へよばれる。
 

  昭和34年頃の話です。
その頃は青年会活動が盛んで上馬場の青年会も田植え上がりの節句に何か面白い事をやろうと話合いをしました。
 その頃、小出雲の加茂神社では各地からの代表が集まり奉納相撲が行われていました。それじゃその予選会を兼ねて地区の相撲大会にしようじゃあないかと話が進み諏訪神社に集まって土俵造りを行い、青年会と一般参加で20名くらいで西と東に別れての草相撲でした。行司はやぶ下のおじいちゃんで「ハッケヨイ」田植えの疲れもなんのその、村中の視線を浴びて「ノコッタノコッタ」。
節句の笹餅を食べて力をつけて取組んだあとは、諏訪様の神殿で慰労会をしたものです。この相撲大会も4年位続いたが、高度成長のきざしが見え始めた昭和38年頃には農家の長男はサラリーマンとなり、青年会も違った方向に進んでとりやめとなりました。勇士達のまわしは今も諏訪神社の長持ちに、ひっそりと眠っているそうです。
  笹餅を食べると杉木立に響きわたった若者の声を思い出します。
  尚、小局部落は、ぼたもち神様の時に相撲を行ったそうです。(「南部の味と暮し」より)

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DATA : 参考文献「南部の味と暮し」
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